牛肉はどうして最後には王者になったのか。それは、牛肉生産と市場システムの変化があいまってのことであり、それが第二次世界大戦以後に出現したライフスタイルにうまくあっていたからである。20世紀が進むにつれて、アメリカ合衆国の牛肉生産において放牧地が果たす役割は縮小するばかりだった。「肥育用牛」の飼育にかける時間と仕上げ肥育にかける時間がどんどん短くなっていった。品種改良、人工的な牧草栽培、科学的経営によって、肥育用牛は、今や4か月で400ポンドに育てることが可能だ。それらは牧場主から肥育業者に売られ、そこで生コントラックのような機械で最適温度に温めて日夜与えられる混合飼料をなかば強制的に食べさせられる。なかには高蛋白大豆、魚粉、高カロリートウモロコシ、ソルガム(アワの一種)、ヴィタミン、ホルモン、抗生物質が配合されている。牛たちは日がな食べ続け、夜を昼に変えるまばゆいばかりの照明の下、夜通し食べ続ける。かれらがどんなに食べようとかいば桶はいつも餌であふれ、ここでの4か月でさらに体重を400ポンド増やし、解体処理を待つばかりとなる。
牛肉の生産方法の変化とともに重要だったのは、牛肉の消費形態の変化である。まず最初に、郊外に家を持つ階層が育ち、庭を調理と客のもてなしに使うようになった。都市から郊外に逃れてきた人々にとって戸外での炭火焼きは、鬱積したリクレーション願望とグルメ願望の成就に他ならなかった。裏庭の炭火焼きは、食堂も鍋もいらない便利さの上に、手早くできる料理なので、夫が主人役を務め、昔の首長のように祭を主催し肉をふるまうという大役を演じることが多かった。そして、このような裏庭の肉分配者が網に乗せたのは牛肉だった。裏庭料理では豚のひき肉を使うのは技術的に難しかった。豚肉のパテを網で焼けば下に落ちてしまうし、フライパンで焼くのでは、わずらわしい台所仕事からの解放という意味がなくなってしまう。
それより大きな問題は、豚肉には寄生虫の恐れがあるために、牛肉よりも長い時間をかけて料理する必要があることだった。信じられない話だが、合衆国農務省は豚肉の寄生虫検査を行っていない。豚肉の中のセンモウチュウを探すには顕微鏡検査しかないが、その方法では時間と費用がかかるわりには十分な効果が望めない。その結果、アメリカ人の約4%は筋肉中にセンモウチュウが住みつき、症状が出た時にも、軽い風邪ぐらいに思い過してしまう。顕微鏡検査はしないかわりに、1930年代、農務省の公衆衛生局とアメリカ医学協会は、豚肉はピンクから灰色にかわるまでよくよく火を通すようにという徹底した教育活動を行った。この警告に従って灰色になるまであぶると、豚肉はすっかりかたくひからびてしまうので、豚の厚切り肉の炭火焼きは影をひそめることになった。バーベキューやスペアリブは脂肪が多くよく焼いてもやわらかくて肉汁も残るので手軽な解決策だが、ハンバーガーやステーキよりも肉がずっと少ないうえに食べづらく、パンにものせられないので、便利な食べ物としてはハンバーガーよりも分が悪い。
郊外への人々の移動に続いて、ほどなく他の社会変化も起こり、それがまたアメリカ人の牛肉好きを助長した。それは、女性の社会進出、共稼ぎ家庭の形成、フェミニズムの台頭であり、しだいに強まる女性の鍋、流し、レンジに対する反感の増大だった。このような社会変化は戸外での盛大な牛肉パーティーの舞台をしつらえただけでなく、アメリカが世界の料理になした最大の貢献、すなわちファーストフードのハンバーガーを登場させることになった。賃金獲得者が二人いる戦後の新世代の家庭にとってファーストフード・ハンバーガーのレストランは-たとえ持ち家がなく、裏庭でバーベキューができなくとも-戸外で食事し、台所仕事のわずらわしさから解放される機会を与えてくれた。しかもその費用は、家庭でほどほどの料理をつくったばあいと大して変わらない額で済んだ。とくに、働いている女性がよくするように、主婦の家事労働をお金に換算するなら、十分見合う金額だった。
私に言わせれば、ファーストフード・レストランの台頭は、少なくとも社会的には、人間を月に送り込んだのと同じくらい重大な出来事だった。かのエドワード・ベラミが、社会的反響をよんだユートピア小説『ルッキング・バックワード』の中でした予言が思い起こされる。彼は社会主義の医大の業績の一つは、資本主義的な食事をやめさせることだと言っている。ベラミの小説中の主人公は。1887年に眠り、夢の中で目覚めると、そこは2000年の世界だった。色々な驚きに出会う中で、彼にとって最も印象深かったのは、アメリカ人がここに買い物をし、料理を作って食事をすることが無くなっていることだった。そのかわり彼らは、新聞に出たメニューをもとに注文を受けて地域の調理場で作られた料理を気持ちの良いクラブで食べるのだ。マクドナルドもウェンディーズもバーガーキングも、ベラミが思い描いたような高級料理や豪華なサロンこそないが、快適に外で食事するという夢の実現に、かつて例を見ないほどに使づいて見せた。資本主義のただなかで成長をとげたマクドナルド、ウェンディーズ、バーガーキングは、中央集権化、効率化、共同化という条件が意味をなさない-食べものは安くて栄養がある上に、いくらでも即座に食べられる。誰も待つ必要はなく、皿その他の食器類は使い捨てだから洗う手間もいらない。
豚肉をファーストフード・レストランのブームに組み込むためのてっとり早い解決策は豚肉と牛肉を混ぜたハンバーガーを売ることだった。現に、フランクフルトソーセージは牛豚あいびき肉の製品で、しかも長らく豚肉産業を支えている屋台骨の一つだ。しかし、どのファーストフード会社も、今のところ、そのような商品を売り出そうとはしていない。合衆国で売られているハンバーガーはすべて、フランクフルトとは違って、牛肉だけでできていて、他のものは一切混ぜていない。たいていのアメリカ人は知らないが、そのわけは簡単だ。法律上、100%ビーフ以外のハンバーガーは存在しないのだ。合衆国農務省令は、牛肉以外の脂身をふくまないひき肉のパテをハンバーガーと定めている。もしごくわずかでも豚肉かその脂身が入っていれば、それは「パテ」、「バーガー」、「ソーセージ」とは呼べても「ハンバーガー」とは呼べない。言い換えれば、政府の定めるところによって牛肉産業は、アメリカでもっとも人気の高いコンビニエンス・フードの特許権ないしは登録商標をもっているというわけだ。現行法規(連邦法1946年、319・15のB)には次のようにある。ハンバーガー 「ハンバーガー」とは、生と冷凍、あるいはそのいずれかの細切れ牛肉に、ときによって牛の脂身、そして調味料を加えたものとする。それには30%以上の脂身、水、リン酸塩、つなぎ、増量剤を加えてはならない。牛のほお肉は、本条の(a)項で定めた条件にしたがって、ハンバーガーの調理に使うことができる。
豚のひき肉は食べても差し支えない。牛のひき肉もしかり。しかし、両方を混ぜて、それをハンバーガーとよんではいけない。それでは、まるでレビ記の再現のように、うさんくさい話だ。しかし、本来の豚肉タブーもそうだが、ある面では無意味にみえるものが、別の見方をするときわめて実際的な意味を持っているものだ。この規定の核心は、牛ひき肉の脂肪含有率はひくまえの肉そのままであるのに対し、ハンバーガーは100%牛肉製品でなければならないと言いながら、30%まで脂身をまぜてハンバーガーが作れるわけだ。次に牛ひき肉について定めた法規を上げ、関係箇所に傍点を施した。
牛こま切れ肉、牛ひき肉 「牛こま切れ肉」あるいは「牛ひき肉」は、生と冷凍、あるいはそのいずれかの牛肉をこまぎれにしたもので、調味料を加えても良いが、牛の脂身を添加してはならない。また脂身は30%を超えてはならないし、水リン酸塩、つなぎ、増量剤を加えてはならない。
この難解な定義と不可解な禁止が意味するところは、つまり、どちらも片方だけでは売り物にならない成分-ある種の牛肉とある種の牛の脂身-を混ぜ合わせたものがハンバーガーであると、連邦政府がお墨付きを与えたということだ。いつの時代も、一番安い牛肉は、仕上げ飼育のできていないやせた放牧去勢牛だ。しかい、この肉をひいてそれだけでハンバーガーを作ろうとしても料理の途中で崩れてしまう。放牧牛でハンバーガーを作ろうとすれば、万国共通のつなぎ剤である脂肪が必要なのだ。そのばあい、動物性であれ、植物性であれ、どんな脂肪でもその役目は果たすだろうが、パテやソーセージではなく、ハンバーガーを作ろうというのだから、それは牛からとった脂肪でなければならない。ここで話は、飼育用地と、そこで4,5か月も1日24時間トウモロコシ、大豆、魚粉、ビタミン剤、ホルモン剤、抗生物質を取り続ける牛に移る。こういう牛は太っていて太鼓腹をしていて、解体した後でそれをそぎ落とさなくてはならない。つまるところ、飼育牛の脂肪と痩せた放牧牛が産業用ひき肉機のなかで合体し、やがて国民的な食糧であるハンバーガー用肉に変身して姿を表すのだ。もし、ハンバーガーを、豚肉と牛の脂身、または牛肉と豚の脂身でつくったなら、あるいは肉と脂身を別々の牛からとることが禁止されたなら、牛肉産業自体が一夜にして崩壊してしまうだろう。
ファーストフード企業は、安いハンバーガーを作るのに飼育牛の無駄な脂身が必要だし、飼育牛業界は、飼育牛のコストをさげるためにハンバーガーが必要なのだ。その関係は象徴的で、あなたがステーキを食べれば、他の誰かがハンバーガーが食べられるようになるし、その逆に、あなたがマクドナルドでハンバーガーを食べると他の誰かがリッツで食べるステーキに助成金を出していることになるのだ。豚肉と豚の脂身がハンバーガーからしめだされたのは、豚肉生産者よりも牛肉生産者のほうが政界に大きな影響力を持っていたからではないかと思われる。牛肉産業は長い間比較的少数の大規模な牧場主や飼育会社に支配されてきたのに対し、豚肉産業を担ってきたのは比較的多数の中小規模農場だった。二者のうち、集中化が進んでいる分、牛肉産業のほうが農務省の法規に対して影響力を持てるのであろう。
厄介な問題が残っている。脂肪の少ないハンバーガー用肉の最も安いものは、オーストラリアやニュージーランドなど、人口密度が低く牧草地が豊富な諸外国にある。ファーストフード・チェーンは、放っておいたら肉のほとんどを外国から買ってしまう。そういうことにならないように、連邦政府は、牛肉輸入を制限する割り当て量を定めている。それでもアメリカ人が消費する牛ひき肉のほぼ20%は外国産である。外国産の牛肉がどのようにして消費者の胃袋に入るか、詳しいことはだれにもわからない。ひとたび税関を通過してしまうと、それがどこをとおり、加工業者はそれをどう処理したか、記録を残している仲介業者はいない。ファーストフード・レストラン・チェーンのなかには、自社のハンバーガーは100%牛肉かつ100%国内産であると強調するものもある。しかし、一方では沈黙を守るものもあって、アメリカ人の肉事情にさらに一つ謎を加えている。
結局のところ牛肉は、100%ビールのハンバーガーの影響によって、つい最近になって豚肉より優位になったということだ。仕上げのできていない放牧牛の肉と、飼育牛の余分な脂身をむすびつけることによって、ファーストフード・チェーンは、穀物を肉に変える変換器として豚肉のハンバーガーを分類上の変則物として禁止したことは、レビ記のタブーと比較的類似以上の意味を持っている。
食と文化の謎 (岩波現代文庫) | |
マーヴィン ハリス Marvin Harris
岩波書店 2001-10-16 |